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---コースご案内 半日コース(約7Km) ---
1.六郷神社
江戸時代は八幡神社と呼はれていましたが、明治に入って六郷神社と称するようになりました。徳川家康は、六郷橋の竣工にあたっては、当社の神輿をもって渡初式を行ったといわれています。
2.六郷左岸・六郷の渡しの碑
慶長5年(1600)、徳川家康は「六郷大橋」を建造しました。六郷大橋は両国・千住の大橋と共に「江戸三大大橋」と呼ばれた。しかし、たびたびの洪水で破損、元禄元年(1688)の洪水で流されたのち、橋は再建されず、江戸期200年あまりを通じて「渡船渡し」となりました。
3.万年屋跡
万年屋は、明和年間(1770年頃)に「奈良茶飯」を売り物に大変賑わい、その様子は「江戸名所図会」にも取り上げられるほどでした。
4.田中本陣跡
田中本陣は川崎宿開設の5年後、寛永5年(1628)に造られました。建坪は231坪で、幕末まで続きました。川崎宿に二軒あった本陣のうち、江戸側にあったことから「下本陣」と呼ばれました。
5.かわさき宿交流館
川崎宿の歴史・文化を伝えるため2013年10月1日に開館されました。
6.宗三寺
曹洞宗の寺で、境内には、間宮信盛の供養塔や川崎宿の飯盛女の供養のために川崎貸座敷組合の建てた遊女供養塔があります。
7.一行寺
浄土宗のお寺で、別名「閻魔寺」とも言われます。1月第二日曜日と7月16日に「お閻魔様」が開帳されています。
8.稲毛神社
江戸時代、川崎宿をはじめとする近隣七カ村の総鎮守で、「山王さん」として崇拝されました。 佐藤本陣跡 建坪181坪(597㎡)、京に近い方にあったので「上の本陣」と呼ばれ、幕末には京に上る十四代将軍 家茂が宿泊しました。
9.芭蕉句碑
「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」、実際に句を詠んだ地に建てられた碑は少なく大変貴重なものです。