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---コースご案内 約6Km 半日コース---
1.エリザベス・サンダースホーム
イギリスの老婦人エリザベス・サンダースの遺産の寄付を基金に、三菱創始者岩崎弥太郎の孫の澤田美喜が建設した施設で、美喜は混血孤児の母となり30年間で孤児約2000名を養育したといわれています。
2.妙大寺
妙大寺は、大磯海水浴場を開設した松本順の墓や杉原千畝氏 とともに「日本のシンドラー」 と言われる樋口季一郎の墓ががあります。
3.地福寺
真言宗の古刹ですが、島崎藤村と妻静子の墓があることで有名です。藤村の命日の8月22日には、旧島崎藤村忌が開催されています。
4.小嶋(おじま)本陣跡
大磯宿には、小嶋・尾上(おのえ)・石井の3つの本陣がありました。このうち、小嶋・尾上の2つの本陣は幕末まで続きました。
5.延台寺
曽我兄弟の兄・十郎祐成の恋人虎御前が開いたお寺です。虎女供養塔、虎池弁財天の碑、虎御石等あり、古い歴史を感じさせます。。
6.照ケ崎海岸
大磯は ” 海水浴場発祥の地 ” です。元軍医総監松本順が 漁の邪魔になるという漁師を説得し、 明治18(1885)年に照ケ崎海水浴場は誕生しました。
7.松本順謝恩碑
初代軍医総監を務めた松本順は「国民の健康増進と体力向上」のためにこの地に海水浴場を開き、旅館と病院を兼ねた「祷龍館」を建設しました。明治維新以降寂れる一方だった大磯はこれによって息を吹き返しました。
8.新島襄終焉の地
新島襄は同志社大学の前身、同志社英学校を開設し、その後同志社大学設立を企画していましたが、病のため百足屋の離れで亡くなりました。新島襄終焉の地碑は昭和15(1940)年、新島襄の門下生が集い、 旧百足屋の敷地内に建てました。
9.鴫立庵
江戸時代初期に小田原の崇雪(そうせつ)という人物が、西行の三夕の歌にちなみ、昔の沢らしい面影を残す景色の良いこの場所に鴫立沢の標石を建てました。
10.旧島崎藤村邸
藤村が晩年を過ごした家です。三間の一室は茶室風に作られた小座敷で、静子夫人は書斎とよび、藤村はこの部屋で畢生の大作『東方の門』を執筆しました。
11.明治記念大磯邸園
旧陸奥宗光邸、旧大隈重信邸、旧伊藤博文邸(滄浪閣)、旧池田成彬邸(旧西園寺公望邸跡・隣莊)の建物群を「明治記念大磯邸園」として国・県・町が連携して保存・活用を進めています。2020年夏、旧大隈邸・旧陸奥邸の庭園の一部を先行して一般公開されることになりました。
12.滄浪閣跡
伊藤博文は、白砂松林の大磯が気に入り、梅子夫人の病気療養のためにも、この地に別荘を建築することに決め「滄浪閣」と名づけました。本籍も東京から大磯町に移したため、滄浪閣は伊藤の別荘ではなく本邸となりました。
13.西長院
源頼朝の行列を襲ったと間違われ斬られた悪太郎義景が気付くと身体に傷がなく、地蔵尊が刀傷を負って血を流していました。これは、長年、悪太郎がこの地蔵を深く信仰していたおかげだと、人々は「身代わり地蔵」と称し切通しの岩窟の中に御堂を建てて安置しました。国道拡幅時に、地蔵はここに移転されました。
14.旧吉田邸
明治17年に吉田茂の養父健三が別荘として建てたもので、吉田茂が昭和19年頃から、その生涯を閉じる昭和42年までを過ごした邸宅です。平成21年3月、本邸が火災で焼失してしまいましたが、一部が復元され、消失を免れた日本庭園や歴史的資源(兜門・七賢堂など)と共に公開されています。